先週の金曜日に日大の公開講座である「落語を聞いて、江戸を学ぼう!」(全5回)
の1回目「落語と江戸の食生活」(90分)の授業を受けて来た
講師の稲田さんは、日大の講師ではなく
大衆芸能脚本家。社団法人日本放送作家協会会員、協同組合日本脚本家連盟著作権委員(演芸部)、民族芸能を守る会相談役です。
本人も怪談話などを高座で語るくらい話術は一流ですので、90分の授業はあっという間に過ぎました。
ちなみに日大芸術学部演劇学科の卒業ですので、私の後輩ということになります
落語は江戸時代後期の発祥だといわれています
よく江戸ッ子などと言いますが、一体定義はなんなのでしょうか?
3代続かなければ江戸っ子じゃない等と聞いた事がありますが、良く解りませんでした
まして、当時の江戸というのはどの辺りを指していたのでしょうか?
江戸城の近くに武家屋敷があり、その周りというか隙間に町人の住まいがあったとすると、江戸は神田あたりでしょうか?
現在の江東区、墨田区、足立区あたりは江戸では無かったと思われます
ですから、千代田区、中央区の北側、新宿区の南側あたりでしょうか?
そもそも何故江戸ッ子かどうかなんて問題になったのでしょう?
江戸の発達(人口の増加)は地方との格差が原因で、地方では生活が成り立たないので次男、三男などがとりあえず江戸に行けば何とかなるだろうと出て来たのが人口増加の元だと思います
そして、江戸で働き小金を貯めて再び田舎に帰るという事をしていたようですが、田舎に帰らず江戸で生活をし続ける人も出て来たようです
江戸に出て来て小金を貯めて田舎に帰る・・・・田舎者
江戸に出て来て江戸で稼いで江戸で暮らし続ける・・・江戸っ子
こんな感じだったようです
ですから、現在の品川等で生まれ育っても江戸っ子とは言わないようです
地方から出て来た人は江戸で長屋などを借りて住まいとするのですが、この家賃がいくらだったかという話がありました
TVドラマなどでは「家賃(店賃)を払え」などという場面がよくありますが、現実は家賃は「ただ(0円)」だったようです
大家さんはどのようにして生活をしていたかと言うと、長屋には共同のトイレがありましたので、お百姓さんが肥やしに買いにきたそうです
買うと言っても、野菜とかとの物々交換だったようですが、その野菜を大家さんが八百屋を営んで商売していたとも聞きました。
当然、家賃のかからない長屋というのは狭いわけですが、間口九尺、奥行き2間というのが最低限の広さだったようです
入り口を入ると土間があり、そこに「へっつい」「水瓶」がありいわゆる炊事場がありました。
この辺りは落語にも良く出てくる話ですが、江戸の人は見栄も張りましたから白いご飯は欠かせなかったようですが、おかずはほとんどなく漬け物が少々ってところだったようです
そこで、朝はご飯を炊くのですが夕食は一々ご飯を炊くのが面倒でもあり外食をする事になります。
その代表が現在のファーストフードとも言える「蕎麦屋」の屋台だったのです
落語でも蕎麦屋の話はよく出てきますが「うどん屋」の話はあまり出てきません。
しかし、江戸にもうどん屋はあったのだと言います
蕎麦は「つーっと」食べる江戸向きでしたがうどんは「もぐもぐ」食べないと熱くてしょうがないものでしたから、気の短い江戸の人には好まれなかったようです
ただし、冬の寒い日は「うどん」が一番あたたまる庶民の食べ物であったのでうどん屋も存在していたという訳です。
今回なるほどと思った事に
「焼き魚」は「へっつい」では出来ない(お米を炊く仕様だったので網などがない)ので庶民は食べる事がなかったようです
焼き魚が登場するのは「七輪」が発明されてからという事になるようです
時代劇等では井戸端で七輪を使って魚を焼くシーンがありますが、きっとその時代は江戸の後期なのでしょう
落語の「目黒のさんま」も江戸後期って事になりますね